ペナン島旅行1

夏休みを利用してペナン島へ行ってきました。
自称歴女母娘(?)としては、海峡植民地のシンガポール、マラッカに行ったことがあったので、
ペナンも押さえておかないとね・・・と前々から話していました。
私はのんびりビーチでバカンス・・よりも、いろいろ観光してみて回るほうが
断然好きです。そうしないと旅行という気がしないという貧乏性です。

ペナンはシンガポールよりすこし歴史があるようです。
ラッフルズシンガポールに上陸してイギリス東インド会社の商館をおいて
シンガポールを開港したのが1819年ですが、
ペナンはそれより少し早く、1786年にイギリスに割譲されました。
その後1826年にはペナン・マラッカ・シンガポールがイギリスの海峡植民地となり、
ペナンはその拠点となっていたようですが1832年にそれがシンガポールに移ると、
だんだんシンガポールのほうが栄えてくるようになったようです。

ペナンに行ったことのある方は、「ペナンはシンガポールと雰囲気が似ている。
シンガポールを20年くらい田舎にした感じかな・・・」なんて言っていました。
確かに、そんな雰囲気です。


ペナンというのはビンロウジュのことだそうです。島中にビンロウの木が生えていたそうです。
ビンロウといってすぐに思い出すのが、私ならプラナカンの人々がしていた
シレーシューイングの中身にするもの・・・ということです。
ガイドさんはシレーチューイングにはあまり反応はありませんでしたが、
「台湾のタクシー運転手がよく噛んでいるもの」と説明してくれました。
噛み続けると唾液と化学反応して赤くなり、最後には吐きだします。
ビンロウには覚醒作用があるそうで、マレーシアではチューイングは禁止だそうです。


こうしたスパイス類がたくさん取れることもヨーロッパ人にとっては魅力だったのでしょう。
ここをイギリスの自由貿易港とし、ペナンは発展を遂げ、「東洋の真珠」といわれるようになったそうです。

ペナンは今日本人のロングスティをする人もたくさんいるそうです。
治安もまあまあよいし、物価は安い。気温は年中31度くらい。台風も地震もない・・・
そしてアジアでなんとなく抵抗がないという理由が多いようです。


マレーシア全体ではマレー系が7割弱・中国系2割強・インド系1割弱などといわれていますが
ここペナンは中国系が7割と中国系の人が多く、シンガポールと似ています。
私は、マレーシアでも、この中国系が多いということで日本人にとっては住みやすいのではないかと思います。
マレー系のイスラム色の濃いところではやはり、新参の日本人は入りにくいのではないでしょうか。
マラッカも同じく日本人のリタイヤしてロングステイする方が多いそうですがここも中国系が多いです。

初日はホテル内をぶらぶら散歩しました。
ホテルはペナン北部のバトゥ・フェリンギに位置するホテルで、ファミリー向けのホテルでとても良かったです。
おとなりは同系列のペナン島で最高級ホテルでした。落ち着いていて素敵でした。

ガイドさんの話では、海も30年位前は水深1mくらいは透明できれいだったそうですが
今は、さほどでもなく誰も泳いでいませんでした。
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ペナンはまた屋台が美味しいと聞きました。
屋台村も聞いていたのですが、娘は結構抵抗があって食べられないので、
ホテルで同じようなローカルフードを食べました。
ガイドさんのお話では、
シンガポールにもあるホッケンミーも、ここのは違うのよ!美味しいのよ!麺が違うのよ!」
と力説していました。
私はホッケンミーを食べました。確かにあっさりして美味しかったです。


シンガポール国立博物館のリビングギャラリー(FOOD)では、
なぜシンガポールで屋台飯が発達したか展示があります。
季節風に乗ってやってくる貿易港として発達したシンガポールはたとえば中国系の人は
11月頃の北東の風に乗ってシンガポールに来て、半年ほど滞在し、風向きが南西に変わると
中国へ帰っていきます。
つまり、期間限定で独り身で滞在する人達用に、
ささっと安くご飯が食べられるような屋台飯が発達したそうです。
シンガポールに限らず、東南アジアに屋台飯が多いのはこういった理由だと思います。
ペナンもそうなのでしょう。
ここは地元の野菜も取れるし、
タイにも近く、新鮮な食材も多く、なおさら美味しい屋台飯が発達したことと思います。

そのあと、ナイトマーケットにぶらぶらと行きました。
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インド系のお店で張り切ってヘナをしてもらっている娘。
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この日は満月でした。

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次の日からの観光が楽しみな夜でした。
つづく・・・