マクリッチ貯水池と昭南神社跡
今年は知り合いのUさんのお陰でシンガポールの自然に触れることができました。
Uさんのご案内で、「フォートカニングヒル」「ボタニックガーデン・レインフォレスト」「スンガイブロウ湿地帯」
そして今回12月23日「マクリッチ貯水池」を案内していただきました。
ここは自然もさることながら昔、「昭南神社」のあったところです。
私はとあるボランティアの関係でここを昭南神社を紹介することがあり、この地を是非訪れてみたいと思っていました。でも実際・・・自分ではなかなか行かないのです・・・。
Uさんのご案内で、「フォートカニングヒル」「ボタニックガーデン・レインフォレスト」「スンガイブロウ湿地帯」
そして今回12月23日「マクリッチ貯水池」を案内していただきました。
ここは自然もさることながら昔、「昭南神社」のあったところです。
私はとあるボランティアの関係でここを昭南神社を紹介することがあり、この地を是非訪れてみたいと思っていました。でも実際・・・自分ではなかなか行かないのです・・・。
日本にいた頃は「熱帯雨林気候」とか「熱帯の森」というのは想像もつかなかったです。
娘にもここにいるうちに熱帯の自然について多く触れてほしいと思っています。
今回は娘のお友達も来るということで娘も連れて参加しました。
そして9時半から2時近くまで・・・約5時間!途中休憩はしましたが、娘達も良く歩きました。娘が歩けたのはお友達のFちゃんのおかげです。
娘にもここにいるうちに熱帯の自然について多く触れてほしいと思っています。
今回は娘のお友達も来るということで娘も連れて参加しました。
そして9時半から2時近くまで・・・約5時間!途中休憩はしましたが、娘達も良く歩きました。娘が歩けたのはお友達のFちゃんのおかげです。
午前9時30分にUP Thomson Rd.沿いのバス停で待ち合わせです。大通りに、ホーカーが立ち並び、背後には住宅街・・・いったいどこからマクリッチの森に入るのかと思いきや、Uさんは「はいここから入りますよ」と住宅街のところからひょいひょいと森に入っていきました。
はじめはこんな細い道・・・
さて、はじめにお目当てのフタバガキが沢山落ちていました♪これは投げるとくるくるまわって落ちてきます。とても楽しい木の実です。
どこかでかわいらしい鳥の声が・・・と思ったらサルの声でした。写真はイマイチですが5,6匹いたのです。そのあとにもたくさん会いました。
キッコウシダ。キッコウマンしょうゆのマークと同じですね。
2時間ほど歩いて・・・
Treetopに来ました。高さは20mくらいかな・・・?普段見上げている木の上の部分が観察できるようになっています。
家具に使う「ラタン」です。こんなに大きくなるんですね。
Treetopを降りて・・・
シンガポールドリアンの木です。葉の裏側が茶色っぽいのが特徴だそうです。
さて、はじめにお目当てのフタバガキが沢山落ちていました♪これは投げるとくるくるまわって落ちてきます。とても楽しい木の実です。
どこかでかわいらしい鳥の声が・・・と思ったらサルの声でした。写真はイマイチですが5,6匹いたのです。そのあとにもたくさん会いました。
キッコウシダ。キッコウマンしょうゆのマークと同じですね。
2時間ほど歩いて・・・
Treetopに来ました。高さは20mくらいかな・・・?普段見上げている木の上の部分が観察できるようになっています。
家具に使う「ラタン」です。こんなに大きくなるんですね。
Treetopを降りて・・・
シンガポールドリアンの木です。葉の裏側が茶色っぽいのが特徴だそうです。
セルラータ(だったと思う・・?)
花は黄色。花が終わると一旦閉じて赤い実になるそうです。
これがつぼみか、実か区別がつかなくなるそうです。36日間(?)ほどたつと実が開いてことりや虫たちにタネを運んでもらうようにするそうです。
花は黄色。花が終わると一旦閉じて赤い実になるそうです。
これがつぼみか、実か区別がつかなくなるそうです。36日間(?)ほどたつと実が開いてことりや虫たちにタネを運んでもらうようにするそうです。
さて、こちらがマクリッチ貯水池。
そして対岸が昭南神社があったであろう場所です。
そして対岸が昭南神社があったであろう場所です。
この池の感じが伊勢神宮に似ているということでここに建てられたそうです。
神社の建立に関しては沢山の外国人捕虜が動員されたそうです。
もちろん捕虜達の心中は反感の思いでいっぱいだったでしょう。
1945年8月15日に日本が連合国に降伏すると、
日本軍は8月25日に昭南神社を自らの手で爆破しました。
現在では反対側にゴルフ場が広がり、もうここに昭南神社があったことさえ知る人も少ないそうです。
今では橋の基礎の部分のみが見えるだけとなったそうです。
下の看板の右下の写真に橋の基礎の部分が見えますね。
この日は水量が多く、その基礎部分も見えませんでした。
なお、対岸の神社跡の森には立ち入り禁止だそうで、許可がないと入れないそうです。
(でも、たまに他の方のブログでここに立ち入ったというのを見かけます!)
神社の建立に関しては沢山の外国人捕虜が動員されたそうです。
もちろん捕虜達の心中は反感の思いでいっぱいだったでしょう。
1945年8月15日に日本が連合国に降伏すると、
日本軍は8月25日に昭南神社を自らの手で爆破しました。
現在では反対側にゴルフ場が広がり、もうここに昭南神社があったことさえ知る人も少ないそうです。
今では橋の基礎の部分のみが見えるだけとなったそうです。
下の看板の右下の写真に橋の基礎の部分が見えますね。
この日は水量が多く、その基礎部分も見えませんでした。
なお、対岸の神社跡の森には立ち入り禁止だそうで、許可がないと入れないそうです。
(でも、たまに他の方のブログでここに立ち入ったというのを見かけます!)
私は「戦争の憎悪の連鎖」というものをガツンと経験したことがあります。
そのことが、私が歴史の勉強に興味を持つきっかけともなっています。
我が家の在星生活がいつまで続くのは分かりませんが、娘も小学校3年生になるし、シンガポールにいる間に実際にある「戦争の跡」のようなものをできるだけ見せられたらと思います。
マクリッチ貯水池の歴史的背景は・・・
ここにはもともと泉が湧き出ていたそうです。治水事業を整備しようと、1800年代半ば、TanKimSengというプラナカンチャイニーズが最初、13000ドルの寄付をしましたが、計画があまり練られていなかったそうで、この治水事業は中途半端に終わってしまったそうです。そののち、1800年代後半James MacRitchieさんが引き継いでこの事業を成し遂げ、彼の名前が残ったそうです。
ここにはもともと泉が湧き出ていたそうです。治水事業を整備しようと、1800年代半ば、TanKimSengというプラナカンチャイニーズが最初、13000ドルの寄付をしましたが、計画があまり練られていなかったそうで、この治水事業は中途半端に終わってしまったそうです。そののち、1800年代後半James MacRitchieさんが引き継いでこの事業を成し遂げ、彼の名前が残ったそうです。
2時ごろ森を出ると、そこは日本人会のすぐ近くの Adam Rdでした。