ペナン島旅行4 プラナカンマンション

(だいぶ日が過ぎましたが、記念に残るようペナン旅行記の続き)
 
次の日は
ペナン州立博物館と 公司1835年に福建省からペナン島に来た邱(クー)一族が建立した中国寺院。)、
そして今回の私のお目当てのひとつプラナカン・マンションに行きました。
 
このプラナカンマンションは2008年ー2009年にシンガポール・マレーシアなどで放映された
「LittleNyonya」のロケ地となったところです。
 
ガイドさんとも、
「ドラマ見た?」
「はい♪見ました!」
「僕もー!泣けたよねー!」などとミーハーに盛り上がりました。
 
お話はちょっと日本のおしんを思わせるようなものです。
主人公はどんなにいじめられても清らかな心で強くたくましく生きていきます。
主人公の父は「山本洋介」という日本人写真家という設定で、これもまた興味がわく点です。
私は再放送の途中からしか見ていなかったので、この山本洋介と主人公「月娘」(Yue Niang)の母の物語が
知りたいのですが・・・・DVDどこかで売っていないかな。
ここは「鄭景貴」という客家系の秘密結社のリーダー格とされた人物のお屋敷だそうで、19世紀後半に
立てられた、東洋と西洋のスタイルを融和させた感じの豪華なつくりになっています。
 
 
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色んなドラマや映画のロケに使われたそうです。
オレンジ色のクバヤを着ているのが現在のオーナー婦人だそです。
 
 
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玄関を入ると、吹き抜けの中庭があります。
雨(水)がたまるように、つまりお金がたまるように、という風水からきているそうです。
透かし彫りの金箔のスライド式の戸がすばらしいです。
本来ならば、この写真の正面の向こう側が入り口でした。
入ってすぐのところを「Thia Besar」という応接間になっていて
通常、その家の娘はそこにはいけません。でもどんな来客(男性)が来たか、
透かし彫りのところから覗き見していたそうです。
 
 
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真珠母貝がはめ込まれたすばらしい家具。
 
 
 
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また別のダイニング。
 
 
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洗面台置きの家具
 
 
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寝室
 
プラナカンの結婚式は12日間に渡って行われるそうです。
12日間は通い婚方式で、お婿さんは花嫁さんの家夜泊まって
翌朝家に帰るそうです。当時水道がまだなかったので、プラナカンの家庭では
洗面台を置く家具を用意し、花婿さんは顔を洗って朝帰って行ったそうです。
こうしたプラナカン家具は完全受注方式で同じものは二つとしてない、と言われています。
私もアンティークやさんで洗面台置きの家具を見たことがありましたが相当な値段でした。
 
 
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結婚式のときに身に付ける花嫁さんのへットドレス
 
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なんと離れがありました!右側が離れ。離れの中は・・・・↓
 
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レセプションルームになっていました!!
 
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カラフルなニョニャウエア
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かわいいビーズサンダルなど・・・
 
豪華絢爛な品々がたくさん展示されていました。
 
わたしとガイドさんは「ここでおばあさんが階段から突き落とされて・・・」「あー!そうそう、かわいそうだったね!」とか
「ここで主人公がこうして・・・」などなどミーハーな話題でも盛り上がり、楽しいツアーでした。
 

ペナン島旅行3 「東洋の真珠」ペナンヒルからの夜景

 ペナンヒルの頂上では、ホテルの庭でスチームボート(マレー風のなべ)をいただきながら
景色を堪能しました。私たち家族は恥ずかしながらスチームボートを食べたのが初めてでした。
あっさりとしたスープににんにくのすりおろしを入れて、あとは日本のおなべのように
魚介や野菜、きのこなどを入れていただきました。
最後は卵をといたものを入れて、麺でいただきます。
とても美味しかったです。
 
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かつて「東洋の真珠」と言われたペナンの夜景です。
満月でした。
主人の夜景専用カメラで撮りました。
 
 写真の真ん中にすーっと見える橋はPenangBridge(ペナン大橋)で、全長13.5kmです。
ペナンはペナン島だけではなく橋の向こう側もペナン州なのだそうです。
 
また、2004年のスマトラ沖地震ではペナンも被災し、数十人が津波で亡くなったそうです。
津波で被災した地域は今又埋め立てにし、ゴージャスなコンドミニアムが林立していました。
なんでも1フロアが1ファミリーだそうです。ガイドさんが「お掃除するのが大変そうですね」、と笑っていました。
まぁ、こちらはメイドさんを雇う習慣があるので、メイドさんを何人か雇ってお掃除させるそうですが・・・。
USドル建てでインターネットなどでも売られているそうです。
 
このあと、下りのケーブルカーの最終が8時ということで、8時の便で降りました。

ペナン島旅行2 極楽寺とペナンヒル

次の日は午前中から午後にかけてホテルのプールでのんびりと過ごしました。
 
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夕方、極楽寺とペナンヒルでスチームボートを食べながら夜景を見る、という
ツアーに参加しました。
 
極楽寺は1890年から20年かけて建築したそうです。
崖に立てられていて12万平方メートルの敷地があります。
こーんな崖ぷちにこんなに大きなお寺があったなんてびっくりです。
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主人はアジアのお寺めぐりが大好きなのでとても感激していました。
旧正月になると大勢の参拝客が詰め掛けるそうです。
シンガポールで見かける中国系のお寺はほとんど
道教のお寺で、私の家の近くにも関羽が神格化した「関帝」が奉られている
お寺があります。
中国では仏教は外来の宗教なので、はじめはあまり受け入れられなかったと聞いています。
いまでは道教などと融和した、独自の仏教のかたちをとっているとききました。
 
シンガポールもそうですが、ペナンも開港当時の18世紀後半、19世紀は
まだまだ商売で帆船で来る人たちも命がけだったと思います。
その人たちの心のよりどころでもあり、指針となったものだと思います。
 
 
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ものすごく大きな仏像です。
東西南北、4つの方角を守るそうです。
私たちもお参りしました。
 
 
 
その後、ペナンヒルに登りました。この頂上からの景色は絶景と聞いていたので
とても楽しみにしていました。
 
 
下から見て・・・すごい傾斜で、びっくり!
 
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このケーブルカーは今年になってから新しくなったそうで、
いままでは30分かけて頂上まで行ったそうですが、
いまは10分くらいで着きます。
 
これから登ります。
つづく・・・
 

ペナン島旅行1

夏休みを利用してペナン島へ行ってきました。
自称歴女母娘(?)としては、海峡植民地のシンガポール、マラッカに行ったことがあったので、
ペナンも押さえておかないとね・・・と前々から話していました。
私はのんびりビーチでバカンス・・よりも、いろいろ観光してみて回るほうが
断然好きです。そうしないと旅行という気がしないという貧乏性です。

ペナンはシンガポールよりすこし歴史があるようです。
ラッフルズシンガポールに上陸してイギリス東インド会社の商館をおいて
シンガポールを開港したのが1819年ですが、
ペナンはそれより少し早く、1786年にイギリスに割譲されました。
その後1826年にはペナン・マラッカ・シンガポールがイギリスの海峡植民地となり、
ペナンはその拠点となっていたようですが1832年にそれがシンガポールに移ると、
だんだんシンガポールのほうが栄えてくるようになったようです。

ペナンに行ったことのある方は、「ペナンはシンガポールと雰囲気が似ている。
シンガポールを20年くらい田舎にした感じかな・・・」なんて言っていました。
確かに、そんな雰囲気です。


ペナンというのはビンロウジュのことだそうです。島中にビンロウの木が生えていたそうです。
ビンロウといってすぐに思い出すのが、私ならプラナカンの人々がしていた
シレーシューイングの中身にするもの・・・ということです。
ガイドさんはシレーチューイングにはあまり反応はありませんでしたが、
「台湾のタクシー運転手がよく噛んでいるもの」と説明してくれました。
噛み続けると唾液と化学反応して赤くなり、最後には吐きだします。
ビンロウには覚醒作用があるそうで、マレーシアではチューイングは禁止だそうです。


こうしたスパイス類がたくさん取れることもヨーロッパ人にとっては魅力だったのでしょう。
ここをイギリスの自由貿易港とし、ペナンは発展を遂げ、「東洋の真珠」といわれるようになったそうです。

ペナンは今日本人のロングスティをする人もたくさんいるそうです。
治安もまあまあよいし、物価は安い。気温は年中31度くらい。台風も地震もない・・・
そしてアジアでなんとなく抵抗がないという理由が多いようです。


マレーシア全体ではマレー系が7割弱・中国系2割強・インド系1割弱などといわれていますが
ここペナンは中国系が7割と中国系の人が多く、シンガポールと似ています。
私は、マレーシアでも、この中国系が多いということで日本人にとっては住みやすいのではないかと思います。
マレー系のイスラム色の濃いところではやはり、新参の日本人は入りにくいのではないでしょうか。
マラッカも同じく日本人のリタイヤしてロングステイする方が多いそうですがここも中国系が多いです。

初日はホテル内をぶらぶら散歩しました。
ホテルはペナン北部のバトゥ・フェリンギに位置するホテルで、ファミリー向けのホテルでとても良かったです。
おとなりは同系列のペナン島で最高級ホテルでした。落ち着いていて素敵でした。

ガイドさんの話では、海も30年位前は水深1mくらいは透明できれいだったそうですが
今は、さほどでもなく誰も泳いでいませんでした。
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ペナンはまた屋台が美味しいと聞きました。
屋台村も聞いていたのですが、娘は結構抵抗があって食べられないので、
ホテルで同じようなローカルフードを食べました。
ガイドさんのお話では、
シンガポールにもあるホッケンミーも、ここのは違うのよ!美味しいのよ!麺が違うのよ!」
と力説していました。
私はホッケンミーを食べました。確かにあっさりして美味しかったです。


シンガポール国立博物館のリビングギャラリー(FOOD)では、
なぜシンガポールで屋台飯が発達したか展示があります。
季節風に乗ってやってくる貿易港として発達したシンガポールはたとえば中国系の人は
11月頃の北東の風に乗ってシンガポールに来て、半年ほど滞在し、風向きが南西に変わると
中国へ帰っていきます。
つまり、期間限定で独り身で滞在する人達用に、
ささっと安くご飯が食べられるような屋台飯が発達したそうです。
シンガポールに限らず、東南アジアに屋台飯が多いのはこういった理由だと思います。
ペナンもそうなのでしょう。
ここは地元の野菜も取れるし、
タイにも近く、新鮮な食材も多く、なおさら美味しい屋台飯が発達したことと思います。

そのあと、ナイトマーケットにぶらぶらと行きました。
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インド系のお店で張り切ってヘナをしてもらっている娘。
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この日は満月でした。

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次の日からの観光が楽しみな夜でした。
つづく・・・

夏休みの自由研究(レモン電池)

今年は夏休みの自由研究はレモン電池(フルーツ電池)にしました。
我が家では原発事故から、エネルギーのことについて話す機会が増えました。
原発化石燃料に代わるエネルギーは?太陽光、風力、波力、地熱・・・・などなど。
ちょうど、実験キットの「レモン電池」があったのでこれでフルーツ電池について調べました。
 
シンガポールならではのことを・・・というのもあり、
レモン、スターフルーツ、ドラゴンフルーツ、すいか、塩水などで試しました。
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すると、鳴るではありませんか!!
こういうものでも電池のかわりになるのか、と感動!
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ドラゴンフルーツが一番良く鳴った気がします・・・。
いろいろ調べてみると電解質の水分の代わると電流が流れるらしい。
 
 
じゃあ、こういうのを実用化できないか、もう実用化しているのはないか調べてみると
なんと「水電池」なるものがこの8月に日本で発売されるらしい。水を入れるだけで
電池になるという!
 
それに対抗して!?
 
フルーツ電池で時計が動かせないか・・・!!
 
 
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でも動かないんですねー。
 
電子音を鳴らすのと、目覚まし時計を動かすのでは電気の力が相当違うのでしょう。
テスターがないので分からない野のですが、
電子音だけ聞いていると乾電池も、フルーツ電池も同じくらい大きないい音を出しているのですが・・・・。
 
 

ホームスティ

 
7月いっぱいで1学期が終わり、夏休みに入りました。
7月には娘の学校のプログラムで、希望者のみですがホームスティ体験をしました。
最初にローカルスクールの子供たちが日本人宅に泊まり、次の週に娘がそのパートナーの子の家に行きます。
 
娘は英検4級うを2年前に取得、3級は勉強中・・・くらいの英語力しかないのですが
度胸はあるようで、この企画をとても楽しみにしていて積極的に応募しました。
私も主人もハラハラ・・・わが子ながら良くやるよなー・・・と感心します。
 
うちのコンドは大型コンドで日本人も多いのが幸いし、ホームスティ受け入れ家庭が5家族ありました。
みんなで協力して、最初の日は手巻き寿司パーティにし、
2日目はプールとすいか割りをして、お昼は各家庭で(和歌やはそうめん)を食べました。
みんなでわいわいしているときはいいのですが、
我が家でMちゃんと娘と私になると何を話していいのやら・・・5分・10分がとっても長く感じられ、
大変でした。
大型コンドで良かった・・・。
 
宗教上、○肉が食べられなかったり、習慣的に生魚は食べたことがない・・・という子もいたので
おすしは卵焼きや、きゅうりや、ツナマヨ、エビマヨ、サーモンをすこし、焼肉&レタスを少し・・・など用意しました。
 
手巻き寿司はやったことがない、どうやって巻くの?というローカルの子供もいて、
日本人の子供たちが教えたりして楽しく会食でしました。
 
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娘のパートナーはMちゃんで、中国系シンガポーリアンのお母さんとドイツ人のお父さんという
なんともインターナショナルなおうちのお子さんでした。
家での会話は大体英語だけど、中国語もドイツ語も分かる・・・ということでした。(うらやましい。。。)
そのせいか英語もSinglishではなくとてもきれいな英語でした。
 
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すいか割りは割れそうでなかなか割れず、みんなキャーキャー言いながらエキサイトしてやっていて、
セキュリティも住人もみ見に来るほどでした。すいかわりってシンプルだけど、楽しい遊びだなぁ・・・
 
 

バナナパウンドケーキ

娘は小5になり、今年から始まる「家庭科」の授業をとてもたのしみにしています。
この前第一回目の家庭科の授業があったらしく、
「家庭科ではどんなことを勉強したいか」ということを発表したようです。
娘は「安くて栄養のあるお料理はどんなものか、勉強したいです」と言ったらしいです。
エライ!!特に「安くて・・・」が。
そして誰かは「シフォンケーキが作れるようになりたいです」と言ったらしいです。
 
それで急に、小さいとき、よく私が作った「バナナパウンドケーキが食べたくなった~」と
言いました。
 
これは娘が小さいときNHKの教育テレビで「ひとりでできるもん」(だったかな?)という番組があり、
5-6歳の子がお料理や、お掃除などをするものですが
あるとき、図書館でその番組で紹介されたお料理の本があったので借りてきて、それで作ったものです。
 
最近ではさっぱり作っていなかったのですが
また作ってみました。
 
娘は小さいとき、私がお料理をしているとシンクとわたしの間に入って
ワーワー泣くことがありました。まだ言葉も十分出ずにかんしゃくばかり起こしたころです。
遊んでもらいたかったのかな。
育児相談では「簡単なことから一緒にお料理してください」と言われ、
そこでかなり小さいときから(2歳前)一緒にたまねぎの皮をむいたり、
一緒に包丁を持って、「トントン」と野菜を切ったりお料理をしました。
このバナナケーキも、卵をかき混ぜたり、バナナを切ったりたくさん思い出があります。
 
「作ってほしい」と言われ、ちょっとうれしくなりました。
早速、お弁当のデザートにいれ、家でもおやつに食べました。
娘も大きくなったら、娘の子供につくって上げてほしいです。
 
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レシピ
①・小麦粉・・・150g
 ・ベーキングパウダー・・・大匙1
以上を一緒に振るっておく
 
・バナナ・・4本(適当にカットする)
・卵・・・2個
・砂糖(三温糖)・・・60g
・塩・・・少々
以上をミキサーにかける
 
・無塩バター・・・100g(電子レンジで1分ほど暖めやわらかくしておく)
 
②に①を3回くらい分けて混ぜる。最後に溶かしたバターを入れる。
 
・6cm×18cm×8cmの型にクッキングペーパーをしいて、流し込む。
・180℃に温めておいたオーブンに40-50分焼いて出来上がり~